2008年02月01日

由緒正しき建長寺

神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の大本山。山号は巨福山(こふくさん)。鎌倉五山の第1位。1249年(建長元)執権北条時頼の発願により、日本初の本格的中国風禅道場として建設がはじまった。53年、中国から来朝していた蘭渓道隆を開山にむかえ、落慶法要がおこなわれた。

道隆の後も、無学祖元らの中国高僧のほか、絶海中津)、義堂周信ら五山文学の代表者が住職となり、1438年(永享10)ころまで五山の中心として隆盛をきわめた。

創建時は、中国の径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)を模した左右対称の伽藍(がらん)配置であった。ただし、1293年(永仁元)の震災をはじめ、何度か火災にあい、たび重なる修築のため現在は当時とはことなっている。鎌倉末期〜南北朝期に、幕府は社寺の造営費用を調達するため、中国に公認の貿易船(造営料唐船)を派遣しているが、1325年(正中2)7月に博多を出帆した船が、現在知られる最初のものである。この建長寺船は室町時代の天龍寺船などの先駆けをなすものだった。

本尊は地蔵菩薩。この胎内に済田仏とよばれる小さな仏像があったが、現在は別置されている。済田仏は、北条時頼から斬罪(ざんざい)に処されようとした済田左衛門が髻(もとどり)の中にしのばせていたところ、仏が身代わりとなって命をすくったという伝承をもち、身替延命地蔵ともよばれる。本堂にあたる仏殿と唐門は、1647年(正保4)徳川家光が芝増上寺の崇源院(2代将軍秀忠夫人)霊所から移建したもの。1255年鋳造の梵鐘(ぼんしょう)、道隆画像などが国宝となっている。
ラベル:建長寺
posted by リッチマン at 14:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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